第9話
おっかが、仕事から帰ってきて、笑いながら、「今日さぁ…」と、職場の送迎バスの中で起きた話をしてくれました。おっかは、仕事のときに笑った話を、私に、よく聞かせてくれるので、私は、「おっかは、仕事で、またなにか楽しいことがあったんだな」と思って、にまにましながら、おっかの話を聞き始めました。
おっかには、帰りに乗る、そのバスで、時々一緒になる人がいるそうです。それがきっかけで、おっかとその人は、仲良くなったそうです。だから今では、その人に会うと、お菓子を渡し合うようになっているそうです。
その日、おっかがバスに乗ったら、すでに席についている、その人の姿が見えました。だから、おっかは、その人の席に向かいました。そして、その人に渡そうと思っていたチョコレートを、ひとつ差し出しながら、「お疲れさま。これ、おいしかったから、食べてみて」みたいなことを言いました。だけど、その相手は、その人ではなく、おっかの知らない人でした。
おっかは、私と知らないおじさんを、これまでに2、3回、間違えたことがあります。一度は、振り返って私がいると思ったら、私が、おじさんになっていて、残りは、見間違えです。おっかは、どうにかしなければ、と思いました。人違いが多いことではなく、これから1時間乗る送迎バスの中で、おっかと、おっかの知らない人の間にはさまれて、行き場をうしなっている、チョコレートを。おっかが間違えた人は、おっかの知らない人ではありますが、だからといって、おっかが、「人違いしてしまって、ごめんなさい」と言いながら、チョコレートを引っ込めて、チョコレートが、おっかと一緒に去っていったら、おっかの知らない人は、「あ、チョコレートが…」とか、「え、チョコレートは…」とか思うな、と、おっかは思ったのだと思います。だからおっかは、「よかったら、どうぞ…」と言って、きっとおっかが、これまで経験してきた、どのバレンタインデーよりも照れながら、おっかの知らない人に、チョコレートを渡しました。おっかの知らない人にとっては、これまでもらった、どのチョコレートよりも、「ひょん」度が高かっただろうなと思います。
実は、この話には「2」があります。この日、おっかは、知らない人に、チョコレートを渡しましたが、別の日、おっかは、知らない人に、チョコレートを渡しませんでした。「2」は、次回書きます。次回も、読んでくださると嬉しいです。
エッセイ漫画 <ご近所さんの生活> ほかのお話はこちら
武井 怜
1988年生まれ。現在、両親と猫と千葉県市川市在住。動物、お笑い、海外のコメディ、甘いもの、お相撲などが好き。コミックエッセイ『気にしすぎガール~この世のあらゆる物事に気を遣いすぎる女の日常~』(KADOKAWA)発売中。