公開日: 2024年11月8日

パリパラリンピック金メダリスト・羽賀選手が市川リトルシニアの球児らに講演

いちかわ新聞
  • シェア
  • twitter

パリパラリンピックの車いすラグビーの金メダリスト、羽賀理之選手が10月12日(土)、塩浜市民体育館・第二体育館で、中学生の硬式野球チーム「市川リトルシニア」の選手たち約70人を前に講演した。

羽賀選手は1984年11月12日、市川市生まれ。小学2年から高校までは野球に打ち込み、中学時代は市川リトルシニアの26期生として5番打者、ライトで活躍した。高校卒業後の交通事故がきっかけで車いすラグビーに転向してから、日本代表チームの副主将を担う中心選手となった。パラリンピックの出場は、自身は3大会連続で、リオデジャネイロで銅、東京で銅、パリでついに金を手にした。
後輩たちに拍手で迎えられ、羽賀選手は笑顔で登場。パリで獲得した金メダルと、実際に使用し傷だらけになっている競技用車いす3台も展示された。

諦めないことの大切さ

講演の中で羽賀選手は、現在の障がいについて「首の骨折で神経がまひし、脚が動かない。指も動かない。腹筋、背筋も弱い。もう20年くらいこれが普通になり過ごしている」と話した。
パリ大会を振り返り、最も印象的な試合として準決勝のオーストラリア戦を挙げた。「終盤の残り8秒まで、負け試合だった。しかし、チームの全員が前の2大会で銅だった悔しさを忘れず、最後まで諦めなかったことが、同点に追いつき延長戦での逆転につながった」と、諦めないことの大切さを力説した。

世界を制した重み実感
ノートを取る姿も

質問コーナーでは次々と質問が出た。
試合中に失敗したときはどうすれば?という質問には、「試合中は気にしないほうが本来のプレーができる。その代わり、あとでビデオを見てよく分析することが大事」とアドバイスした。
障がいをどう乗り越えた?という質問には「いつか良くなると思っているうちに、時間とともに状況が飲み込めた。だから、乗り越えたというより、受け入れたんだと思う」と答えた。
羽賀選手の計らいで、最後に中学生たちは実際にメダルに触ったり、首にかけたり、競技用車いすに乗って動く体験をした。
熱心にノートを取っていた中学生の一人は「自分もけがに悩んだことがあるが、野球が続けられている。いろいろためになった」と感想を話していた。
講演後に羽賀選手は「野球一筋の中学生時代があって、今の自分がある。後輩たちに接して自分もエネルギーをもらった」と喜んでいた。

  • シェア
  • twitter
The following two tabs change content below.

いちかわ新聞

市川市内で最も地域に根ざした地元情報紙。戸建て・5階建て以上のマンションへ配布。詳細はこちら(明光企画HP)

月別アーカイブ