公開日: 2024年11月1日

じゅえむばなしを追う 第16回・田中長吉・土佐ツタ親子語り③(編/米屋陽一)

いちかわ新聞
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●盆ゴザ

じゅえむが、「家(うち)の敷物はヒョウの皮だ」ってゆった話があるが、あれは昔でいいますとね、前にもそういうふうにやったかもしんねえけれども、明治の末にはね、こういうふうに、タタミを春あったかくなるとね、一か所あげちゃうんですよ。床にしちゃうんですよ。そして、人が来ると盆ゴザ敷いて。花ゴザともいわれている、この辺では盆ゴザっていう。
 仏さまの前に、こういうテーブルを出して、その年に生えた新竹を立てて、マコモで縄なって、こうやってね。「アボ・ヒボ」(アワボウ・ヒエボウ)って言葉でいうけれども。五穀を仏さまへお供えするわけだ。盆の時は青もの、農家でできるものみんなここへ下げとく。飾りですね。
 その時に、ここへゴザを敷くわけなんです。そんで、盆に敷くから盆ゴザというんです。だから、これは毎年新しいものを買って敷くから、盆ゴザは何枚もあるわけなんです。それで、お客来た時にはこれを敷いてどうぞっていう。

●ツタ女の語り・鷹の番

同じような話なんですけど、うちの母が印内に嫁に来る前に、日本橋の雑貨問屋へ見習い奉公に行ってたんですね。
その時に、そこの赤ちゃんが生まれて。六つになるお兄ちゃんが、その赤ん坊が珍しくて、見に来んですよね。そして、「あ、赤ん坊がまばたきをした」とか、「口を開けた」とか、いちいちおじいちゃんに報告に行くんですって。
そしたら、そのおじいちゃんがね、「なんだお前、印内のじゅえむみたいだな」と言ったんで、うちの母、驚いちゃったんですって。「名古屋生まれの旦那様が、なんでじゅえむ話知ってんですか」って言ったら、やっぱり、「親に聞いた」って言うんですよね。

<ききみみ>

『ふなばしむかしむかし』(第5号・1995年・船橋の民話をきく会)所収。北方(ぼっけ)の地名は、読みにくいからか北方(きたかた)になりました。現在は北方(ぼっけ)町四丁目のみです。その北方町四丁目には市川市立北方(きたかた)小学校があります。この話に登場する隣村に生まれたという「印内(いんね)のじゅえむ」は、「北方(ぼっけ)の久兵衛」の家に作男として働いたと語られています。ビルマの国名がミャンマーに改称された時、小説『ビルマの竪琴』(竹山道雄)も変えるんですかと質問した生徒がいました。

<語り手>田中長吉(たなか・ちょうきち)/1901(明治34)年~1991(平成3)年。農業など。船橋市印内に住む。『印内に生きる明治の男―田中長吉の一生―』(1985年)の著書がある。土佐ツタ(とさ・つた)/長吉の長女。船橋市本郷町に住む。1927(昭和2)年~不詳。
<編者>米屋陽一/口承文芸学研究者。元日出学園中学校・高等学校教諭、元國學院大學文学部兼任講師。日本民話の会会員、「米屋陽一民話・伝承研究室」主宰。市川市南大野在住。

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