公開日: 2024年10月2日

前田治郎助の口語り・浦安語り (編/米屋陽一)

浦安新聞
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第15回・廓(くるわ)ばなし

「どうしたい」ってゆうと、「かっ、きょうはだめだ、六日の月だ」って。「宵にちらりだ」って。

だから、みんなあた(仇)してね、なにか持ってきちゃったりなんかして。
むかしは、ほらキモン(着物)で外套(がいとう)きて行くべ、ねえっ。
だから、ことによるとね、いいね、洗面器やなんかあんとね、それを背中にしょっちゃうだよ。
それを帰りにお女郎さんが、「またきてね」っていってたたくとポンと音したって。
「お客さん、なに」って。「あーい、別れの鐘だい」って。

そうかと思うと、ヤカンの小さいのね、ほんの小さいヤカンやなんか、いいのあんとね、それを、むかしは六尺(ふんどし)でしょう、この股の間へと、ヤカンしばってね。
中にいくらかしら、湯が入ってんでしょう。階段をおりるときにね、ちょっと股ひらいて、こうやって(がに股で)おりてくんでしょ。トントントントンとおりて、水がチュッチュッチュッ出てんだって。
「お客さん、そこんとこへおしっこしちゃだめよ」って。「お客さん、行儀わるいね」って。
想像もつかねえようないたずらして、そいで、みんなで笑っちゃってよ。
〈ききみみ〉
『志ん生廓ばなし』(五代目・古今亭志ん生)には、〈えー、まだ吉原が盛んな時分の、おはなしでございますが、その時分はてェと、若い男が集まりますと、すぐ始まりますのが、廓のおうわさで…。〉読み始めると、志ん生の声が、顔が、しぐさが甦ってきます。治郎助さんの語る廓ばなしのさわり、いかがでしたか。少し前の漁師マチの若い衆が懐かしく甦ってきます。〈吉原へ若い人が行くてェと、世の中のたいがいのことが、わかってまいりますから…、一度はみんな行ったもんですな。〉浦安の若い衆たちも、このようにして一人前の男になっていったのでした。遠い昔の話になりました。

<語り手>前田治郎助(まえだ・じろすけ)/1911(明治44)年~1994(平成6)年。享年83歳。浦安市当代島在住。元・漁師。
<編者>米屋陽一/口承文芸学研究者。元日出学園中学校・高等学校教諭、元國學院大學兼任講師。日本民話の会会員、「米屋陽一民話・伝承研究室」主宰。

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