浦安三社祭には、各町に多くの会がある。「さまよ会と有志」もその1つ。もともと、清瀧神社の総代長も務めた岡本家の親族で構成され、今年創立95周年を迎える歴史ある会だ。本家に残る史料を基に、岡本家の最長老・正行さん(90歳)を中心に、息子の善徳さん、清吉さんの孫にあたる佳久さんに祭りの歴史について話を聞いた。
岡本正行さんは「当時を知る人も少なくなったが、私が耳にしたり記憶したりしていることを…」と語り出した。佳久さんは「度重なる水害で書物が流されてしまい、神社でも当時のことは詳しくわからない部分があります。幸い本家は、いくつか史料が残っていました」と貴重な写真を用意してくれた。
【清瀧神社・宮神輿の歴史】
明治22年(1889年)の町村制で、堀江・猫実・当代島の3つの村が合併して「浦安村」となり、堀江の清瀧神社、猫実の豊受神社、当代島の稲荷神社の3社合同で祭りを開催した。しかし、その頃は、まだ神輿がなかったという。
「大正10年(1921年)頃、堀江の若衆頭・内田辰蔵氏が呼びかけ、若衆全員が賛同した。日々の収益から少しずつ集金する『日掛け預金』を元手に、神主や宮総代長に嘆願してつくったそうです」と正行さん。その後、浦安出身の事業成功者らが資金を集め、昭和4年(1929年)に白木の宮神輿を奉納した。
清瀧神社の宮神輿は、八棟造(やつむねづくり)で、重厚感ある八の字の屋根が特徴。「塗りと白木の対で八棟大神輿が揃う神社は、日本ではほかにないそうです」
【さまよ会所有の神輿】
祭りには宮神輿とは別に各町会の神輿が多数登場する。さまよ会には個人所有の神輿が4基もある。正行さんは「発端は、男の子が育たなかった時代に、伯父の清吉が生まれたばかりの三男長吉の健やかな成長を祈願した手づくりの樽神輿でした」と話す。
昭和10年(1935年)に清吉氏が本格的な神輿(今の中神輿)と幼児用の神輿を購入。そして、昭和60年(1985年)に大神輿、その後、小学生用も揃え、一族結束の象徴となった。
【繰り返した中断と再開】
今年はコロナ禍での中断を経て8年ぶりの再開となるが、これまでも中断された期間があったという。「戦時中に3回、また、昭和30年代に乱闘事件によって中止された期間がある。各地区の宮神輿が10数軒の民家に突入し、暴れ神輿状態に。逮捕者も出るほどの騒ぎでした。警察の許可が下りず、2回分の祭りが中止となってしまった」。血気盛んな漁師町らしい歴史だ。
【三社祭の未来】
少子高齢化で資金や担い手不足のほか、神輿を安置する「神酒所」の場所の確保も厳しい。さまよ会も親族のみの運営が難しく、有志に協力を仰ぎ「さまよ会と有志」と会名を変更。善徳さんは「浦安を離れる人も増えました。生活基盤が遠いと毎週末の準備も難しい」と言う。
新たな取り組みとして、祭りの開かれた雰囲気づくりと新町エリアの市民との交流を目的に、日の出中学校で神輿体験会を実施した。「個人所有の神輿ならではの企画」と笑顔の3人。正行さんは「この先も、先祖の遺志と伝統を受け継ぎ、皆様方のお力をお借りして、地域の親睦と市民の融和を目指したい」と話した。