行徳の歴史をみんなで学ぶ
1月20日(土)、行徳文化ホールI&Iで、行徳郷土文化懇話会による「第2回行文懇講座『行徳の文化と歴史をやさしく学ぶ~舟運編~』」が開催された。
行徳の文化や歴史を学び、未来へと伝えていく活動を行っている行徳郷土文化懇話会が開催する講座の第2回となった当日は、100人を超える参加者が集まり、席を追加で用意するほど盛況であった。
初めに、同会の田中愛子会長が、「今回は、利根川、江戸川、東京湾に囲まれた行徳の舟運についての発表をもとに、皆さんと語り合いたいと思います」とあいさつ。続いて企画調査室の田中祥一さんが『行徳の舟運の歴史』について発表した。田中氏は大阪市出身で市川市へ転入後、会社員として働きながら、行徳の歴史について調査研究を行っている。
「江戸時代に行徳で作られた塩を江戸へと運ぶために整備された航路は、明治に入り蒸気船も定期運行され、物や人を運ぶ交通路として栄えた。しかし、大正以降は鉄道やトラックなど陸上輸送の発達により舟運は衰退。1944年(昭和19年)には蒸気船の行徳航路は廃止となった」と解説した。
次に、同会顧問で元行徳支所長の田草川信慈さんが『江戸川舟運復活の動き』として、2000年以降の緊急船着場整備と舟運復活の試みについて報告。そのうえで「大きな災害が起きた場合、行徳は陸の孤島となる可能性がある。物資輸送のため、江戸川の堤防には緊急船着場があるが、普段は使われていない。この船着場を平時から活用することで非常時に備えることができ、行徳をさらに魅力ある街にすることができるのではないか」と述べた。
最後に、峰崎進副会長が『初夢「通運丸の就航」~舟運の町・行徳の復活と観光アピール~』と題し、観光用クルーズ船として通運丸の復元を提言。蒸気船ではなく、ディーゼルエンジンとし、行徳新河岸と日本橋を東京湾経由で、片道約90分で結ぶというアイデアなどを紹介した。船を作るだけでも6億円ほどかかる見積もりではあるが「考えなければ前に進まない」と話し、未来の行徳に想いを馳せた。
その後の質疑応答では、参加者から活発な質問や意見が。メンバーが答えに窮するような質問もあり、参加者同士で意見交換するなど、みんなで行徳に対する学びを深めた。ある参加者は「昭和30年代より前の風景を知っている人が残っている間に記録として残しておかなければならないことがまだ多くある」と話していた。
行徳郷土文化懇話会では公開講座や会報誌「もしおぐさ」などを通じて、これからも行徳の歴史を探究していくそうだ。
行徳郷土文化懇話会のメンバー